2018秋〜2019春の参加者募集中!!

変化

 「この副専攻をとるには、『環境システム学インターンシップ』の単位取得が必要です。そのためには10日間以上、60時間以上でうちの大学から紹介されているインターンシップへの参加とレポート提出、プレゼンテーションが必要ですね。」思わず耳を疑った。(公務員講座あるのに、10日以上もインターンシップいけるわけないやん。でも、副専攻あきらめたくないし…。)副専攻をとって、卒業式で修了証を2枚もらうのが1回生の時からの夢だった。

 その頃の私は、授業、副専攻、公務員講座、資格試験…、といっぱいいっぱいだった。別に自分がやりたいからやっていたわけじゃない。大人からの評価、信頼、将来の安定、他人からの目、見栄、そんなことばばかりを気にして毎日を過ごしていた。朝5時に起きて勉強して、新聞を読んで、ニュースを見て、授業を受けて…。昼休みも教材に目を通しながら、ひとり無言でいつもと同じ野菜ジュースとおにぎりを無理やり詰め込む。食事は一分一秒でも早く終わらせたいと思っていた。その分、時間を勉強につぎ込めるから。休み時間もひたすら勉強。友達と話をすることも殆どない。ゼミでの討論か廊下ですれ違った友達に挨拶をするくらい。授業が終われば猛スピードで公務員講座に向かう。3時間の講座を終えれば21時すぎ。終わったらすぐに学校を出て、まっすぐと家に帰る。そうじゃないとその日習ったことが復習できないから。はやく詰め込まないと、少しでも他人より長く机に向かわないと。そうじゃないと受からない気がして。そのまま夜中の2時まで復習して、やっと私の一日は終わる。他人と話すことは殆どない。一日誰とも話さない日なんて、ざらにある。そうやって、へとへとで布団に潜り込むけど、ぐっすり眠れるわけじゃない。試験に落ちる夢を見て、うなされて、一時間ごとに目が覚める。たったの3,4時間の睡眠なのに、その時間もゆっくり休めない。そんな毎日だった。心の余裕なんてない。景色なんて最後にゆっくり見たのはいつだろう。音楽もいつからゆっくり聞いていなかっただろう。

 海士に行こうと決めるのに、全然時間がかからなかった。いや、「かけなかった」のほうが正しいのかもしれない。そんなことに時間をかけている暇はない、と思っていた。副専攻の要件に合うインターンシップを大学のHPから探してみても2つしか見つからなかった。大学から紹介されているインターンシップは殆ど大企業の1日限りのセミナーばかり。それでいてマッチング率はかなり低い。それらと比べて海士へのインターンシップは、2週間以上、しかもマッチング率が99%。他と比べてかなり目立っていた。実習内容も「『観光』をバックヤードからどのように変えていけるのかを学べます」。(いやいや、他のインターンと違いすぎやろ。しかもマッチング率高すぎかよ。)思わず、ツッコミを入れていた。海士町のインターンシップは私にとってはかなり好条件、「ここでいいや」そんな軽い気持ちで参加を決めたのだった。

 インターンの準備をしている時も、港まで向かう間も、フェリーに乗っている時も正直、(はよ終わらんかなぁ。めんどくさいなぁ。単位もらえたらそれでいいや。)としか考えてなかった。実習以外の時間は、一人で部屋にこもって公務員講座の勉強をするつもりで、教材を鞄いっぱいに詰め込んだ。荷物はかなり多かった、重かった。でも、そこまでしないと受からない気がして、荷物の重さなんて我慢できた。

 元々肌が青白く顔色が悪いのもあったが、海士に着くと、いろんな人に「陽に弱そうやね。大丈夫?海士で生活できる?」なんて聞かれた。でもそれは、きっと肌の色のせいだけじゃなくて、普段の大阪での生活が表情とか雰囲気とか、いろんなところに滲み出ていたのだろう。(海士の方たちは、あったかいだけじゃなくて、人を見抜く目とか鋭いところあるよなぁ)、なんて今になったら思ってしまう。お盆でレンタサイクルが出回っていたこともあり、観光協会のTさんの車でいくつか場所を案内してもらうことになった。正直めちゃくちゃ緊張していた。ひととおり案内してもらった後、Tさんの家兼シェアハウスの客間で適当に時間を潰すことになった。最初に書いていたように、早く帰ること、隙間時間を見つけて勉強することしか頭になかった私は、膨大な量の荷物の中から教材を取り出し、いつもどおり公務員講座の勉強をはじめた。しかし、いつも通り解こうとしても、なぜかうまくいかない。暑さのせいなのか、セミの声のせいなのか、いや、きっと自分の集中力不足のせいだろう。他人の家というのは、どこか落ち着かないものだ。そうこうしているうちに、さっき案内してくれたTさんが戻ってきた。手にはPCと資料。「横で仕事させてもらうね。」緊張が増す。(まぁ仕事するって言っとんなったし、しゃべらんでもいいから気にせんとこ。)そう思っていた。私の予想を裏切って、Tさんは話しかけてきた。「仕事をする」と言っていた割には、かなり話し込んでいる。最初のうちは、緊張していた私も、その人の話題の振り方や、質問の仕方に流されて、初対面とは思えないくらい話し込んでいた。大学のこと、部活のこと、将来のこと、家族のこと。話を聞いていると、その人はどうやら観光協会に努めるまでは、大きな企業にいたらしい。しかも大学もかなり名門、家柄もすごい。なのに、不思議と嫌みさがない。正直、私は名門校出身や育ちのいいひとは嫌みな人間が多いと思っていたから、Tさんには不思議な印象を抱いた。Tさんは幼いころに見た「牛のおしりが並ぶ風景」について話してくれた。いつかその風景を作ることが夢らしい。正直、驚いた。そんな名門校を出て、大企業にいた人が、将来牛に関する仕事をやりたいだなんて…。(やっぱり頭いい人は考えることが違うよなぁ。私みたいな人間はがむしゃらに勉強して安定を求めるのが一番似合っとるわ。)話を聞きながら、そんなことを考えていた。けれど、親や兄弟の話をしている時に「別に、親の期待通りに安定とか名声を求めて進む必要はないと思うよ。親との関係を良好に保とうとして、自分が無理したり、希望しないほうに進んだりすることはないと思うけどなぁ。」みたいなニュアンスのことを言われた。Tさんにそう言われると、不思議と説得力があった。いろんな話をしているうちに3時間くらい経っていた。初対面でこんなに話し込んだ人は今までいなかった気がする。

 はじめてシェアハウスに行った。今日から他人と一緒に生活するのか、と考えると緊張したし、不安だった。案内してもらうと、一人部屋がない。正直がっかりした。(公務員講座の勉強できひんやん。どうしよ。)それしか考えてなかった。そのあと夕飯を食べに食堂に行った。私を含め、7人くらいの学生がいた。圧倒された。みんなよくしゃべるし、明るい、しかも面白い。(私こんなんでやっていけるんかなぁ。普段は人と喋らへんからなぁ。)なんて考えつつその日は食堂を後にした。その日の夜、同部屋の学生と話をした。就職のこと、大学のこと。その子は将来食堂をやってみたいと語っていた。電気を消した暗い部屋の中で、昼間話したTさんの話や、その子の話を思い返しながら眠りについた。「自分は将来こうしたい」という自分を持った人たちがすごく羨ましかった。やりたいこともなく、毎日余裕なく生きている自分がすごく、ちっぽけに感じた。自分のやりたいことでもないのに、毎日必死に取り組んで、やるだけ身も心もしんどくなっている自分が馬鹿らしくなった。そんなことを考えながら窓の外から聴こえる波の音や蛙の鳴き声に耳を傾けていると、知らぬ間に朝になっていた。

 次の日は休みだったこともあり、他の学生二人と一緒に長期インターンシップで滞在中の方に隣の西ノ島を案内してもらった。摩天崖、通天橋、放牧されている馬や牛、見るもの全てが壮大で、自由で、心地よくて、生まれて初めての感覚だった。その中でも特に放牧されている馬や牛の自由な姿は、私の心に強く訴えかけてきた。自由で、でも一方で生きることに必死で、そんな姿を見ていると、自分の本土での暮らし方はすごくしょうもないもののように感じた。そんなしょうもない生活をここにまで来て続けたくないと思った。せっかくここに来たんだから、普段の勉強も、苦しさも、すべて忘れてやろう、と思った。

 次の日から一週間は、キンニャモニャセンターにある船渡来流亭での実習だった。初日は緊張して迎えたが、緊張は不要なほどあたたかい方たちばかりだった。お盆ということもあり、回転率も高く、実習自体はあわただしい日が多かったが、それを忘れさせるほど毎日が楽しかった。店長の作ってくれる賄いやおやつはとても美味しく、店長のやさしさやあたたかさがいっぱい詰まっていた。実習中は就職のことや、自分の抱えている悩み、移住についてなど様々なことの相談にのってもらった。私のことを励まし、自信を与えてくれた。最終日には「このお盆の忙しいときに来てくれて、本当に助かったよ。」と言ってもらって、はじめて少しでも人の役に立てたことを実感して、すごく嬉しかった。そこでもまた、自分に自信がついた。また、海士のことがほんとに好きになったという話をすれば、「一回住んでみたら?別に一生住まなくてもいいじゃん。」「海士が好きなんだったらおいでよ。」そんな風に言ってもらってすごく心が軽くなった。「夏以外の海士も体験してみなよ。」そう言われて、私はますます海士で暮らしてみたいと思うようになった。

 次の二週間は、CAS凍結センターで働いた。想像以上にハードだった。蒸し暑い処理場で長袖長ズボン、マスク、立作業。初日は体調不良で早退した。不甲斐なかった。私よりも何歳も年上の女性たちが元気に黙々と作業していることに圧倒された。次の日からは体調管理に気を配りながらの実習だった。普段口にしている美味しい食べ物が食卓に届くまでには、こんなにも多くの人の時間や労力が隠されていたのかと思うと、今まで何も考えずに消費していた自分の暢気さを反省した。また、休憩時間には休憩室の女性たちの話に耳を傾け、参加した。「しんどい」のことを「せつない」と言うことや、CASで働きながら漁業や民宿をやっておられる方がいること、村によって盆踊りが全然違うこと…毎日新たな発見があり、休憩室でのお茶タイムは楽しい時間だった。また、大阪から移住してこられた男性に海士が好きだと話すと、「おいでよ、住んだらいいじゃん。来る来る詐欺だけはやめてよ。」なんて言われた。ここでもまたあっさりした返答。ますます、海士で暮らしてみたい気持ちが強くなった。

 海士での生活は実習以外も本土での生活とは比べ物にならないくらい充実した日ばかりだった。休みの日には、港からあまマーレまで歩いた。かなりの距離だったけど、すごく楽しい時間だった。というのも、海士の人々は道端で会ったら知り合いであろうとなかろうと、すごく気持ちのいい挨拶をしてくれる。田んぼの作業をしながら、散歩をしながら。海士の人々にとっては私など見知らぬ若者のはずなのに、笑顔で「こんにちは。今日は暑いねぇ。」と挨拶をしてくれることがすごく心地よかった。知らず知らずのうちに自分も笑顔になった。観光休憩所の方とも仲良くなった。「滞在中いつでもまた遊びに来てね。」そう言ってもらえてすごく嬉しかった。本当に海士はあたたかい人たちでいっぱいだ。あまマーレまでの道中、中里地区と東地区の間の田んぼ道の景色は印象的だった。見ていると、ホッとするような、不思議とどこか懐かしい気持ちになるような、そんな景色だった。季節の違うこの景色を見てみたい、そう思えるような景色だった。

 海士での生活で心に残っていることといえば、他のワーホリ、インターン生との共同生活だ。最初は戸惑うことも多かったが、日が経つごとにそれぞれの個性があふれ、同じ空間にいることが楽しくなっていた。互いの距離感がつかめずに悩んだ日もあった。自分の性格のことや、将来のことについて相談に乗ってもらったり、励ましてもらったりして涙した日もあった。3週間のうちに色々なことがあったけど、日に日に互いの関係が濃く、強くなっていくのが実感できた。インターン担当のOさんを心から慕っていて髪形も雰囲気もそっくりな子、牛乳が大好きで牛乳を飲みながらリビングで寝落ちする子、Oさんへの強烈なツッコミを炸裂する子、海士にいる間に名前がいっぱい増えた子、英語も中国語も日本語もペラペラなキャリアウーマンみたいな子…ここには書ききれないくらい個性的な学生ばかりだった。一緒にご飯を作ったことや、花火を楽しんだこと、夜中に映画祭を開いたこと、この年になって初めて「青春」というものを味わったような気がした。いつかみんなとどこかで再会できることを心待ちにしている。

 海士では多くの方にお世話になった。観光協会の人たちにはかなりお世話になった。インターンの担当者のOさんにはお世話になったと同時に、かなり笑わせてもらった。Oさんの冗談は、「なんか」面白い。ここで強調したいのは「かなり」おもしろい、ではないということだ。最初のうちは緊張してうまく話せなかった私も、その方の冗談には知らぬ間にツッコミを連発するようになっていた。関西人の血が騒いだのだろうか。他のインターン生の「○○さん、家燃やしますよ。」鋭いツッコミにはかなり衝撃を受けた。Oさんと他のインターン生とのやりとりは、TVのお笑い番組を見るよりも面白い気がする。しかし、このインターンシップの担当者のOさんは、冗談ばかり言っているわけではない。Oさんは、冗談ばかり言っているようで実は深いこと、含意のあることを言っていることが多いと私は思っている。「働く内容だけじゃなくて、働く“場所”で仕事を選ぶこともありだと思うんだよねぇ。」というOさんのひとことは、正直かなり心に響いた。因みに今、私はそのOさんの働き方、マルチワーカーにすごく興味を持っている。Oさんの働き方についての卒論が書けたら、なんて勝手に考えたりしている。海士に押しかけて話を聴かせてもらおう。また、最初に書いた観光協会のTさんのお話はすごく面白くて、インターン生数人で夜に押しかけたりもした。普通だったらアポもなしに押しかけるのはすごく迷惑で失礼なことだけど、その方は嫌な顔一つせず、歓迎してくれた。ビール片手にみんなで語り合ったのもいい思い出だ。他にも観光協会のEさんとOさん、インターン生みんなで呑んだ地酒の味も、毎日の美味しい賄いも、本土に帰った今では恋しくて仕方ない。観光協会の方たちは興味深い人たちばかりだ。

 一年間のインターンで滞在している学生の方にもお世話になった。その方の大学のお友達とも仲良くなった。その方は見ず知らずの私を友達の内定祝いの夕食会に参加させてくれた。(内定祝いなんて、そんな大事な行事に私なんかが参加していいんかなぁ。邪魔じゃないかなぁ。)そんなことを考えている私の一方で、その方も、そのお友達も、はじめて会う私に分け隔てなく接してくれた。すごくあったかかった。夜はみんなで雑魚寝して、眠りにつくまでお喋りした。次の日には島前高校の文化祭に行ったり、散歩したりした。たった数日前、数時間前に知り合ったはずなのに、一緒にいてすごく楽しくて、本当にキラキラした時間だった。その方たちとは今でも連絡を取っていて、年齢も大学も違う知り合いができたのはすごく嬉しくて…。もっともっと仲良くなりたいなんて個人的に考えている。あの時勇気を出して、見ず知らずの人たちの輪に入ってみてよかった。そして輪に入れてくれた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいだ。

 シェアハウスのある崎村の方々にはかなりお世話になった。最初に崎村の方と会ったのは旧崎小学校でのBBQ。行ってみると、正直、見た目は怖そうな人たちばかりだった。(来るところ間違えたかな、どうしよ。)なんて考えていると、「遠慮はいらんから、好きなだけ食え、呑め!」と言われた。本土では手に入らないような豪華な海産物、地酒もごちそうしてくれた。(この人たちはほんまに心からごちそうして、もてなしてくれとるんや。自分たちの欲とかはないんか。)と心底驚いた。いつもなら人見知りしてしまう自分も、知らぬ間に崎村の人々と沢山話していた。海士に行ってからというものの、私の中の「人見知りの自分」は半減したのではないだろうか。特にそれは崎村の人々の影響を大きく受けたからではないか、と個人的には考えている。崎村の人は話していると見た目とは裏腹に、すごく優しくて面白い人たちばかりだった。愛称を決めて「おい、○○!」と親しく、気さくに話しかけてくれるのがすごく嬉しかった。お腹いっぱいBBQをごちそうになった後、崎バンドの練習にお邪魔した。高校三年まで音楽をやっていた私にとっては、驚くことばかりのバンドだった。やる曲も決まってない。担当パートも決まってない。お酒を呑んで、酔って、盛り上がって、その時の気分で曲を選んで…。目がテンだった。ピアノの経験があるが、今まで自分がやってきたやり方と違うと言うと、「じゃあキーボードやってみたら?参加するならする、しないならしない。」そう言われた。私も酔っていたし、正直勢いだった。「じゃあやります!」。今となってみれば、あの時酔っていて、勢いで返事してよかったと思う。その日から参加できる日はできるだけバンド練習に参加した。ビールを飲みながら、みんなでワイワイやりながらの練習。最高に楽しかった。いつも、解散の時間になると少し寂しかった。崎バンドでやった曲の中でも印象が強いのは、長渕ソングと福山雅治のHELLO。今まで長渕剛なんて好んで聞いたことなかったけど、今では毎晩聞きながら、熱唱しながらお風呂に入っている。HELLOに関しては歌いだしてからサビにいくまでの間にボーカルへのツッコミが飛び交うグダグダ感が最高だった。個人的にはあの歌いだしも好きだった。キンニャモニャ祭りはなくなってしまったが、その代わりの「『裏』キンニャモニャ」祭りが開催された。いつもの崎村の人たち以外にもたくさんのひとが集まって、好きなように歌って、盛り上がって、最高の時間だった。楽しすぎて、盛り上がりすぎて、気づいたら小さな兄妹の歌を聴きながら泣いている自分がいた。その時の感情は言葉では表現できないけれど、なぜか泣いていた。人前で泣くことなんて滅多にないはずなのに、そのくらい心が持ってかれた夜だった。

「『裏』キンニャモニャ祭り」の次の日には、崎村の方に船に乗せてもらって潜りに行った。港に着くまでの軽トラの荷台で感じた風、船の上で感じた風、どちらも清々しくて、山や海の匂いを贅沢に味わえる時間だった。今でも思い出すとわくわくする。潜ることは想像以上に難しかった。そして寒かった。寒い寒いといいながら、ちびっ子たちと一緒に焚き木を囲んだのも、足の裏にウニが刺さって痛かったのも今になってはいい思い出だ。崎村の人々には帰る日の前日、送別会を開いてもらった。豪華な料理に、沢山のお酒。(この人たち、どんだけ優しいねん。)私は心の中でツッコミを連発していた。料理とお酒を楽しんだ後は、みんなでカラオケで盛り上がった。言葉にできないくらい楽しかった。人前に出ることが大嫌いだった私が、歌ったり、ほうきでエアギターしたりしていた。今振り返ったら、あの夜の私は別人だったのかもしれない。でも、みんなが全力で盛り上がっていて、全力で楽しんで、全力で歌って、泣いて、あの空間は最強に最高の空間だったと思う。海士に行って、崎村に滞在して、本当に良かったと思えた夜だった。あの夜に崎村の方に頂いた「崎村Tシャツ・崎村ポロシャツ」は最高の宝物だ。本土に帰った今、寂しい夜はこのTシャツを見て崎村を思い出して、泣いたりしてしまう。

 

 海士とのお別れの日、9月2日。朝起きてからずっと胸がドキドキしていた。帰りたくない気持ちでいっぱいだった。大勢の人に最高に豪華な紙テープで見送ってもらった時は、涙が止まらなかった。あの時フェリーから見た景色は最高に綺麗で、あったかくて、でも寂しさがいっぱい詰まっていて。忘れることのできない景色だ。西ノ島でも見送ってくれた方がいたのもすごく嬉しかった。でも海士と西ノ島での2回のお見送りで私の顔は涙でぐちゃぐちゃだったことだろう。

 

 海士とのお別れから1か月。私は今でも海士の夢を見る。ほとんど毎晩と言っても過言ではないだろう。そして海士での日々を思い出す。海士での22日間を経て、私の生活は一変した。やりたいことをやる。自分のやりたいことを無視してしんどい思いをして、人の目や評価を気にして…。そんな毎日はもう嫌だ。そんな自分はもう嫌だ。今しかできないこと、今自分がやりたいことを貫く。今、私は「海士と本土の二拠点生活」の計画を立てている。勿論、親には大反対された。21年間生きてきて、一番ひどい反抗期かもしれない。盛大に親子喧嘩を繰り広げた。それでも私はあきらめるつもりはない。なんとしてでも説得して見せる。それが私の本当にやりたいことだから、今本当に興味のあることだから。

 安定?評価?地位?名声?そんなのどうだってよくない?全力で楽しんで、全力で生きられるなら。海士はそう教えてくれたように思う。だから私は全力で楽しんで、全力で生きようと思う。