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海士町道中記~出発と到着の間、玄関と菱浦の間~

私は東京に住む大学生。初めて海士町を訪れてから四年、もう十五回くらい通ったのではないかと思う。何度行ってもまた行きたくなるし、他の学生にもそう感じていて欲しいと思っている。
しかし、海士町に行くということは、とても「大変」なことである。私が大学の友人に海士町に行ったのだと話をすると、だいたい海士町のことを知らない学生は「遠いから行くのも大変じゃない?」というような表面的なトークを展開してくるが、そんな学生であっても海士町に行くことは「大変」なことだと認識しているくらい、海士町に行くことは多くの人にとって「大変」なことだと思われている。
実際に、海士町にたどり着くのはそう簡単なことではない。海士町は日本海に浮かぶ島根県隠岐島の離島である。直行便のようなルートはなく、いろいろな交通機関を駆使しながら、何度も乗り換えて行かなければならない。まず、とても時間がかかる。新幹線や夜行バスで行くと、一日移動に使わなければならない。私などはよくどうしても海士に行きたくて一泊で海士に行くことがあるが、滞在時間よりも移動時間の方が長くなるということもしばしばある。次に、そもそもたどり着けないということがある。海士町は離島だから、本土からフェリーに乗るのだけど、波の状況次第では船が欠航するのである。欠航すれば基本的に海士には行けない。私も、船の欠航によって米子で足止めをくらい二泊したことがある。米子旅行をしに来たんだっけ、と思う。最後に、お金がかかる。飛行機を使うと時間もかからないし、とても楽チンなのだが、普通に乗ると結構お金がかかるので、学生はなかなか飛行機では行けないのではないか。だから、飛行機よりは新幹線、新幹線よりは夜行バス、となる。
こんなふうに、「海士町に行く」といってもそれはそう簡単なことではなくて、どちらかというと「遠い」「疲れる」「時間がかかる」と、みんな感じていると思う。でも、遠くて時間のかかる海士への道中って、本当にマイナスなことだけなんだろうか。私はそうは思っていない。遠くて時間がかかる、その「大変さ」が最高に気持ちいい。
私はいつも、こんなふうに海士町に向かう。

~新幹線でいざ出発~
東京から新幹線で行く場合、朝六時半くらいの新幹線が終電だ。少し寝坊したりすると、もうその日は海士町には着かない。これが海士町、このスリリングさがすでにたまらない。
私は東京駅から新幹線に乗る。だいたい三号車の自由席。進行方向に対して右手の窓側の席が空いてたら最高だ。右手には、しばらく走っていると、富士山が見えてくるから。しかも窓側にはコンセントがあるので、ここでしっかり充電しておこう。その後は島に着くまで充電できないから。新幹線にはいつもたくさんの人が乗っているが、「この中で海士町に向かってるのはもしかして私だけかな」と思いながら、あるいは窓の外の景色を見て「富士山でけー」と思いながら、またあるいは「一二時間後にはスナックにいるんだろうな」と想像してワクワクしながら、岡山まで三時間ちょっと、東京駅で買った駅弁を朝ごはんで食べるのもいいし、車内販売でカチカチのアイスクリームや高いサンドイッチを買ってもいいし、新幹線の旅を楽しむ。
岡山駅に到着すると時刻は午前一〇時くらい。東京から岡山まででまだ朝の一〇時なのだから、同じ中国地方である島根県の海士町には昼過ぎには着くのではないかと期待するが、それは甘い。このルートだと着くのはだいたい夜六時だ。岡山からが長いのだ。海士町は焦らしてくる。焦らした末にたどり着いた海士は格別だ。

~特急やくもは揺れる~
岡山に着いた。今度は、新幹線から特急やくもに乗り換えよう。ホームでしばらく待っていると、列車の到着を告げる音が鳴る。いつも思うがこれは不思議な音だ。これからの旅路が不安になるような音で、はっきり言って私はあまり快くない。が、それがいい。この音を聴かないと始まらない。これでこそ特急やくも。やくもに乗り込む前には、飲み物を買っておこう。やくもは車内販売がないから。ここで買っておかないと喉が渇いてしょうがない。
さて、いよいよやくもに乗ると、ここでも私は進行方向の右側に座る。やくもはがたごと北へ向かう。徐々に山陽から山陰へ。だんだんと外の景色が変わってくる。薄暗く、どんよりしてくる。窓から見える景色は、空が重く灰色にのしかかっていて、列車は鬱蒼とした山の中をずんずん進んでいく。家の数も少なくなっていくし、冬は雪が積もっている。どこか重々しい雰囲気で、陰鬱としていて、気分もどんより、車内も暗い。
だが、それがいい。この陰鬱さが、素晴らしい。
このやくもでぐっすり眠ろうと決め込んでいる人も多いと思うし、海士町に着いてからの飲み会のことを考えるとここを体力回復の時間と位置づけるのは懸命な作戦だとも思う。が、しかし、この特急やくもで寝るなんて、もったいない。山陰の、その素晴らしき陰の風景に、私は興奮を抑えられない。
やくもは川沿いを進んでいく。徐々に中国山地の山の中へ、源流へと川上りをするように走っていく。だんだん流れが急になってくる。転がっている石もどんどん大きくなっていく。巨大な岩がごろごろ転がっている。川の水は驚くほど透明だ。川に迫り出す木々も、鬱蒼として車窓を埋め尽くしている。この景色は退屈なものなどではない、もはや神々しさまで感じるではないか。などと思っていると、そうか、これがこの国の神話時代とかかわりの深い山陰の持つ雰囲気なのか、などと考えたくなる。「備中神代」「生山」といった駅名に神々しさを感じずにはいられない。
これが、いい。たまらない。
これぞ私にとってのやくもの醍醐味。いい。
そんな山中をしばらく走ると、車内放送が流れてくる。何の放送だろう、車内販売があるわけでもないし。よく聴いてみると、ずっとやくもが併走していた川の分水嶺があったのだと言っている。つまり、山陽側から川を上るように走っていたが、今度は川の流れと同じ方向にやくもが走っているのだ。車内放送に促されて外を覗いてみると、たしかに列車の進行方向と同じ向きに川が流れているじゃないか。すごい。これは結構すごいぞ。その割に車内放送は控えめで、比較的棒読みじゃないか。
でも、それがまた味があっていい。
そうこうしていると、いつのまにか山陰に惹かれている自分がいる。だが残念なことに、少しずつトンネルが多くなってきた。せっかくの鬱々とした景色が見られない。と、思ったとき、そういえば目の前の座席についたポケットに薄い冊子が入っていたことを思い出す。冊子を手に取る。「ぐっとくる山陰」。なんだこれは。パラパラ見てみると、山陰の歴史や名所、グルメなどの情報が、満載。「ぐっとくる山陰」はJRが出しているパンフレットで、年四回、四季に合わせた話題を提供しているフリーペーパーらしい。フリーペーパー。無料。「ご自由にお持ち帰りください」。いいのですか、ではありがたく持ち帰ろう。できれば春号から冬号まで集めたい。また特急やくもに乗らなくちゃ。こうしてまた海士に行かなきゃならなくなる。
そうこうしていると山を抜けて、はっと大山が見えてくる。壮麗だ。神々しい。再び車内放送が静かに流れる。「大山は別名を伯耆富士といい…」。
山陰は、ぐっとくる。

~境線、妖怪たちに気をつけろ~
さあ、やくもが米子に到着だ。いよいよ日本海も近づいてきた。ここから、フェリーの出る港へ向かうため、境線に乗り換えるのだが…。あれ、どこで乗り換えるのだろうか。境港行きの列車が見つからない。どうしたものか…。そんなに乗り換えの時間があるわけでもないし…。境線はどこだろう、境線は。
「0番線に参ります列車は、境港行き…」。今の構内アナウンスは何と言っただろうか。ゼロバンセン? ゼロ? ホームを数える数字は自然数じゃないのか。0番線などあるのか! 一番線が端っこだという常識はここでは通用しない。よく見てみると、奥に、0番線、すなわち境線が停車している。これは初めてだとわからないかもしれない。どうしてこんなふうになってるんだろう…。
と思っていたら、境線の車体が…。そう、境線の車体には地元出身の画家水木しげるが生み出した「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪たちの絵がプリントされているではないか! ホームにも妖怪たちのオブジェがある。そうか、0番線というのは乗り継ぎ客を惑わせる妖怪の仕業だったんだ。
境線は、妖怪たちにのっとられた列車なのだ。そうと分かれば、ここからは用心しないといけない。境線には心して乗ろう。そう意気込んで境線に乗車すると、これまた驚き、外から見た時には気付かなかったが、車内まで妖怪たちのプリントが施されている。堺線は車内まで妖怪たちにのっとられているのだ。
「次は博労町、博労町です。」「愛称名はコロボックルです!」この声は、鬼太郎と猫娘ではないか。車内放送までのっとられているのだ。しかも各駅についている妖怪の愛称までアナウンスされている。さらに車内放送は続く。「この列車はすべてののドアは開きません。一両目、前側のドアからお降りください。ドアは自動では開きません。ボタンを押してお開けください。」なんということだろう、二両目のドアは開かないから、降りるためには前もって一両目に移動しなければならず、しかも一両目の前側のドアからしか降りられない、加えてそのドアさえ自動では開かず、ボタンを押さなければならない、だと。これは妖怪の仕業以外の何ものでもない。外国人観光客が大きなトランクを持ちながら、ドアが開かずに大慌てしている。彼らはきっと妖怪の力に驚いているに違いない。対照的に、地元の方々は妖怪のことをよく知っているのか、何の造作もなく一両目前側の扉から降りていく。
そうした乗降車の混乱を避けるため、JRの職員の方々が各駅の到着前に車内をまわって下車準備の呼びかけをしてい…いや、待てよ、彼らは本当にJRの方だろうか。妖怪かもしれない。

~フェリーそして内航船へ~
境港駅に到着。終点であるこの駅では、運良くすべてのドアが開いてくれた。さらに運がよければ、境港駅のホームで、動く本物の妖怪たちが出迎えてくれるかもしれない。
さあ、港までやってきた。フェリーに乗るといっても、ただ乗ればいいというようなものではない。そもそもフェリーには「しらしま」「くにが」「おき」という三種類があり、さらに「レインボージェット」という高速船もある。時期によって時刻表は少しずつ変わっているし、行き先も隠岐四島それぞれに「西郷港」「別府港」「来居港」「菱浦港」がある。本土の港も「境港」と「七類港」がある。どの時間に、どの港から、どの船に乗れば、どの港に着くのか、これを瞬時に理解することは至難の業であるから、家を出るときに、いや前日の夜に、何時のどの船に乗るかを確認しておかなければならないだろう。このフェリーの時間から逆算して、私たちは家を出なければならないのだ。海士町に行くには、この難関をクリアしなければならない。ワクワクがとまらない。
乗船券を購入し、いよいよフェリーに乗り込む。入口で乗船券をきってもらい、船内に入るとすぐ目の前に売店がある。こういうところのお菓子などについつい購買欲をくすぐられてしまうのはなぜなのだろう。旅館のロビーやレトロな映画館の自販機を見つけてしまったときの感覚に似ている。売店でのちょっとした買い物が楽しい。
さて、約二時間半の船旅は、波が穏やかだととても気持ちが良い。少し外に出て潮風を浴びるのもいい。碧い海は吸い込まれるようで、ずっと見ていられる。
だが、おそらく多くの人が恐れているのは、「時化」だろう。荒波の中の船旅はきつい。たとえば、あれは三年くらい前の年末。二日ほど欠航が続いたあと、波はまだ高いままではあったが、ようやく島へ向けてフェリーが出航した。欠航の間、本土で足止めをくった多くの乗客で船内は溢れ、私が乗っていた二等室は横になれないほどぎゅうぎゅうであった。波に煽られ、船は揺れる。気持ちが悪い。揺れないで欲しい。船は揺れる。気分が悪い。揺れがおさまってくれないだろうか。船は揺れる。トイレに行こうが、二階へ上がろうが、揺れるものは揺れる。こんな日の船内にはおそろしい光景が広がる。多くの乗客が体を折り合いながら横になり、子どもの泣き声は響き、遠くから嗚咽が聞こえてくる。もう限界だから降りる、なんてことはできないから、約二時間半、じっと耐えるしかない。
だが、これが、悪くない。
フェリーの二~三時間は、海士という場所が島であること、その島を囲む自然がいかに雄大で時に荒々しくあるかということ、そしてその自然とともに海士の人々が暮らしてきたのだということを、感じさせてくれるかけがえのない時間である。穏やかな凪の海も、荒れ狂う時化の海も、私はどちらも好きだ。
揺れる船旅も、またいいではないか。
長い船旅を終えて、船が港に着く。乗客からすれば、船は当然のように港に着くのだが、このとき、船の上から下から、船を寄せたり綱を張ったり、隠岐汽船の方々が見事な連携で巨大なフェリーを着岸させるのは見所の一つではないか。フェリーの楽しさはこんなところにもある。
フェリーが到着し、ついに上陸かと思いきや、昼の船で行くと、ここで到着するのは西ノ島の別府港である。そう、ここからさらに内航船に乗り換えるのだ。フェリーから内航船へ、船から船へという高度な乗り換えを体験できるのも海士の道中の魅力の一つである。
とてもいい。
しかしここでふと思う。内航船のお金はどこで払うのだろう。フェリーから降りる人波に体をあずけていたら、自然と内航船に乗れてしまうのだが、切符を買った記憶もない。しばらくすると内航船の職員さんが船内を歩いて回る。どうやらここでお金を手渡ししているようだ。
この手渡しシステム、すごくいい。
私などは、慣れてくると、フェリーを降りるときあたりからもう三〇〇円をポケットに忍ばせている。
内航船、出発。ここでも進行方向右手側の席に座る。しばらくすると、見えてきた。海士だ。灯台が光っている、CASも見える、夕方のレインボービーチは人が引き上げたあとだ、マリンポートの客室が光る、温泉からはこの内航船が見えているだろう、奥には高校の寮も見える、そして菱浦港へ、キンニャモニャセンターが迎えてくれる。
ようやく上陸だ。さあ、今夜は飲むぞ。

東京を出て何時間かかっただろう。何回乗り換えただろう。たしかに遠くて、大変だった。でも、遠くて、大変だからこそいいことがたくさんあった。この遠さ、不便さ、大変さが、海士にたどり着いたときの喜びをひとしおにする、海士での滞在の楽しさをひとしおにする。遠い、だけどそれがいい。