島に辿り着くまでの旅(3)〜中央アジアへの旅〜

大学を半年留年した僕は2017年10月から大学院に入学する前に一人旅に出かけた。向かったのは中央アジアのウズベキスタン、タジキスタン、キルギス。前回旅したインドや東南アジアなどは多くのバックパッカーが訪れるせいもあり旅に関する情報がスマホで調べれば豊富に得られる。そんな簡単に旅行できるところよりかは、あまり人が行かないようなところに行ってみたかった。それで航空券が往復7万円くらいだった中央アジアへ。地球の歩き方は情報が薄かったため、Lonely Planetに何度も助けられた。

ウズベキスタンのタシュケントから反時計回りに3カ国を陸路で回る。
ウズベキスタンのタシケント、サマルカンド、タジキスタンの、ドゥシャンベ、ホログ、ムルガプ、キルギスのオシュ、ビシュケク、カラコル。観光地も少なく基本は車移動ばかり。中央アジア、何々スタンの国は公用語がロシア語で、会う人に何度もロシア語を話せるか?とロシア語で聞かれた。もちろんロシア語は知らなかったしガイドブックの巻末にある単語帳しか情報はなかったが、言葉が通じなくても旅をすることはできた。それでも最低限、会話帳を買ったりしてコミニュケーションをとる準備をしておけばより楽しめただろうし相手のためにもなっただろうと後悔している。

「サマルカンドはレギスタン広場」

「シヨブ・バザール」

中央アジアはそれぞれの国の通貨は異なる。ウズベキスタンはソム。タジキスタンはソモニ。キルギスはスム。ややこしい。国境を越えるたびに、道にいるおじさんに両替を頼んだ。

ウズベキスタン初日、まずは現金を手にする必要があった。当時、両替の公式レートが悪く、街にいる闇両替商に頼むことでお得に両替することができた。そこで近くに駅に行きタクシー運転手に両替したいことを伝え闇両替商を呼んできてもらった。今、闇両替は禁止されているらしく、銀行でも両替所でもちゃんとしたレートで両替することが可能となっているらしい。

呼んでもらった両替商に100USドルを渡す。普通、両替したら確認しないといけないことはお金の数があっているか、である。いくら良いレートで両替しようとも抜かれていたらどうしようもない。しかし100USドルと変わってドンと受け取ったソムは5cmほどの厚みがる札束。もはやあってるのかわからず、結局何ソムだったのかは不明である。

「100USD」

「ウズベキスタンのタクシーで同乗した親子」

タジキスタンの移動は乗合タクシーばかり。同じ方向の乗客が集まるまで出発しないため、出発まで2時間かかることもあった。乗合タクシーと行っても、車は型落ちの四駆の日本車である。タジキスタンの未舗装の長距離に耐えられるのはやはり日本車らしく、ランクル、パジェロを多く見かけた。それでもタジキスタンでは道中で4回、車の不調で20分から2時間は停車して、車の下にもぐったり、ボンネットを開けたりして何かを直していた。何に使っているのかは知らないがガムテープを使っている時は少し不安になった。
それに基本移動は1日がかり。パミール高原という山岳地帯は火星のような広大な大地に道が一本通っているだけで何もなく、すごい景色ではあるが、代わり映えのない景色は退屈する。さらに未舗装路の揺れとガタイの良いタジキスタン人で窮屈な車内は結構ハード。首都ドゥシャンベからホログまではアフガニスタンとの国境沿いをランクルで16時間ほどすすんだ。どの体勢でも足を伸ばせないランクルの後部座席から川の向こうのアフガニスタンをボーーーっと見ていた。
それでも、その日の宿を予め予約することはなかったため乗合タクシーでその事を何とか伝えると大体どこかに連絡をして連れて行ってくれた。

「川の向こうはアフガニスタン」

「パミール高原をすすむ」

長距離移動の乗合タクシーの場合、移動している全員で同じ店に入り、ランチを一緒に食べる。ホログからムルガプに向かうこの日も現地の人と一緒にレストランに入った。レストランと言ってもただの白い建物で、電気も通ってないため小さい発電機を使っていたし、水道も引いてないのか、蛇口の上にタンクが繋がっていて汲んできた水を入れているようだった。
レストランに入って文字をみるがもちろんキリル文字は読めない。おばちゃんがタジク語で話しかけてくるが全くわからない。英語を話せる運転手にフィッシュと通訳してもらい、そのままフィッシュを注文した。出てきたのは、魚を丸揚げしたもの。ドブ臭かったが、グー?と聞かれたので、バッドとも言えずグーグーと答えた。腹も減っているしこの先到着まで食事はないので詰め込んだ。
しかし、数口食べたところで急激に気分が悪くなり、吐きそうになってきた。ヤバイと思い外に出ようと立ち上がり、頭をもたげたまま数歩歩くと視界が暗くなり、耳がぼやけ気を失った。頭からぶっ倒れたが、積み上げてあったプラスチックの椅子に突っ込んだため怪我はなかった。顔に水をかけられ肩を借りながら店の外に出た。何のせいでこんな状態になったかはわからないが、よくないものが体に入ったのは確かので怖くなった。外の風に当たると吐き気は治ってしまったが、吐いてしまいたかった。なんだったのかはわからない。

「食べかけの魚」

「遠すぎるトイレ」

「カラクル湖」

キルギスのカラコルでは二泊三日のトレッキングをした。トレッキングの予定はなかったため、レンタルショップを教えてもらいテント、寝袋、マットを借りた。靴のレンタルは無くkeenのサンダルしか持ってきていなかったので止めておこうかと大分迷ったが、折角ここまできたので行くことにした。カラコルの街でナンという名の硬いパンと果物とスニッカーズを買い込み、路線バスを使って麓まで行き、紙の地図とMaps.meをみながらひたすら歩いた。アラコル湖手前の何もないキャンプサイトで一泊目、アラコル峠を超えてアルティンアラシャンで二泊目。アルティンアラシャンには温泉に入り、遊牧民の移動式住居であるユルトに宿泊した。カラコルは中央アジアのスイスと呼ばれているらしい。スイスに行ったことはないが確かにそんな気がした。

「登山道」

「アラコル峠からのアラコル湖」

「アルティンアラシャン」

キルギスからウズベキスタンに高速バスで帰る際にカザフスタンに出入国したのを含めると全部で4回陸路で出入国した。イミグレーションカードの書き方がキリル文字が読めず全然わからなかったり、出国時にスマホやカメラの写真を見せて確認されたり、数百人でいっぱいのイミグレーションを優しい警備員のチカラで飛ばして先に出国させてくれたり、入国審査官が使っているディスプレイに日本の援助を受けているシールが貼られていたり、ウズベキスタンでは審査官が日韓ワールドカップの日本代表選手をよく知っていたり、国境を越えただけで街で走っている自動車のメーカーがガラリと変わったりした。歩いて国境を跨ぐことは、なんとなく旅感が出る。

「タジキスタンとキルギスの国境付近」

この旅では往復の航空券と初日の宿泊先以外、何も予約することなく出発した。旅行中WiFiをまともに使えるところは殆どなく、情報はガイドブックのみ。移動は出発時刻も到着時刻も不正確。常に不安が頭の片隅にある中、何かあればその都度自分で対処しなければならなかった。そんなところでも案外何とかなったし、俺頑張ってたなあと思い出す。WiFiもなく言葉も通じない国を旅するには、僕が外交的でなかったとしても、否が応でも度胸がつく。そんな環境でいつもと違う自分が出ると笑えてくる。

 


島に辿り着くまでの旅(1)
島に辿り着くまでの旅(2)〜インドへの旅〜
島に辿り着くまでの旅(3)〜中央アジアへの旅〜
島に辿り着くまでの旅(4)〜ネパールへの旅〜